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横浜市南区の不動産会社栄都

交通状況編 横浜市南区 いいところ

2012年4月23日 月曜日

昔から交通の便の良い南区

以前に書いた、吉田勘兵衛の干拓以来、横浜の南区、中区の低地には商業施設や住居が集まりました。

当社がある白妙町のあたりや、睦町、中村町、通町、などは細かい道路が縦横無尽に通っていて古い住宅の建ち並びがあります。

 

当然のことながら、一帯は交通機関が発達して、横浜では早い時期、明治の後期から路面電車が走り出しました。

昭和初期には、横浜市電として路面電車が市内を走る事になります。

 

 

 

 

市電が通っていた名残もところどころで発見できます。

元町から三溪園方面に行くとすぐに、道が上り下りにわかれそれぞれトンネルをくぐりますが、
海側のトンネルはまさに市電用のトンネル。
馬車道から本牧三溪園までのルートだったんですね。
昭和47年には国鉄やあらたな市営地下鉄の営業開始とともに市電は全廃となりました。

市電廃止の歴史は地下鉄の歴史の始まりでもあります。

最初は伊勢佐木長者町~上大岡までだったその路線も、今では西は湘南台、東はあざみ野まで延びました。

全席優先席なので、座れると思って乗らないことにしています。

 

 

 

 

写真は地下鉄弘明寺駅のすぐ上、鎌倉街道沿いにある、公衆トイレ。

弘明寺駅が市電の終点駅だった当時に建てられたものだそうですが、当時のデザイン、私は好きです。
八幡橋の川沿いにもありますよね。

今はバスがじゃんじゃん通っているここ南区ですが、もしかしたら路面電車復活…もありかという時代背景になってきたような気もします。

風情のある港町 港湾地区

2012年4月21日 土曜日

横浜といえば港。港と言えば行きかう船やカモメ…

ドラマなどで港が映ると、カモメが鳴いて汽笛が鳴り…となりますが、実際はあまりない光景です。
汽笛はしょっちゅう鳴らすものでもないし、カモメも四六時中鳴いているわけではないので。

で、その船の汽笛には意味があるのご存知でしたか?

船は1秒ほど鳴らす短音と、5秒ほど鳴らす長音を組み合わせて使います。

コンテナ船やタンカーなどの大きな船は特に、止まっているのか、動いているのか、

前に動いているのか、後ろに…というのが一見してわかりませんよね。

近くの船に、これから動きますよ~、進む方向を変えますよ~というのを汽笛で合図するのです。
また、霧の中だったり、自分の進む方向に危険な船があれば、危ないぞ~という意味で鳴らします。

みなさんがよく耳にするのは3回、ぼーっと鳴るものではないでしょうか?

これはよく停泊している船がバックで出る時ですね。
ギアをバックに入れて動き出す時に鳴らします。

横浜では、気にしていると結構遠くでも汽笛が聞こえることがあります。

ここ南区白妙町は、港から3キロ弱なので静かな時は聞こえます。
新年の午前零時にも、港の船が一斉に汽笛を鳴らして新年を祝いますが、除夜の鐘の音と合わさって
なかなか横浜らしい空気になります。

最近の船用のレーダーは、衝突を防ぐための工夫がされていて、汽笛を鳴らさなくても手元で周りの船がどう動いているのか
わかるようになっているので、汽笛を聞けるチャンスはますます減っていきますね。

ちなみに、汽笛は大きな船ほど低い音となっています。

ディズニー・クルーズ・ラインの汽笛…聞いたことありますか?

衝突予防のためだけでなく、こんな楽しい汽笛もあるんですね。

石鹸工場1号

2012年4月19日 木曜日

発祥の地としての南区

ビール工場、アイスクリーム、ガス灯、競馬・・・これらは横浜が発祥地とされているんですね。
でも南区が石鹸工場の発祥地であることはあまり知られていません。
だったとしてもあまり関心ないですか…ね?

明治初期、地元の実業家、堤磯右衛門(つつみ・いそえもん)は、
当時そのほとんどが輸入品であった石鹸の国内需要の増加を見越して、現在の南区万世町2丁目に石鹸工場を造りました。

彼は製法の研究に努め、明治6(1873)年、製造に成功しました。
磯石鹸製造工場で造られる石鹸は優良品で、香港や上海に輸出され事業は発展したそうです。

現在は、万世町2丁目の中村川沿いにある万世ポンプ場脇に、南区制50周年を記念して「石鹸工場発祥の地」の銘板が設置されています。
三吉演芸場のすぐ隣です。
そのまま事業が成功していれば、今頃みなとみらいあたりに磯右衛門石鹸㈱本社があって、横浜に石鹸あり!という地位を築いたかもしれませんが、
全国的な不況の中で経営規模を縮小し、明治24(1891)年に磯右衛門が亡くなると間もなく廃業しました。
事業を続けることの難しさを知らされますね。

磯右衛門が偉いのは、単なる輸入品の「模倣品」をつくったのではなく、研究の末、オリジナルを超える質の良い製品を産み出したことです。
私はほぼ毎日その碑の横を車で通っていましたが、全然気づきませんでした。

これからはちょっと当時の様子に思いを馳せてみようと思います。磯右衛門さんに敬礼。